聖なる平和を求めて
あけましておめでとうございます。新たな年2026年を迎えた今、世界規模のあらゆる危機的な状況があるからこそ、「平和があるように」と祈る主イエスの姿を想いつつ、今年の教区目標とともに特別な祝福を送り、皆様お一人おひとりの平和を祈り求めます。
「平和は聖なるもの 神のみ旨 絶えざる和解の旅」
宣教師として来日間もない頃、日本語を学ぶ中で改めて言葉の奥深さと、そこに込められた思いや、豊かな感性、味わい深い意味などに感心させられました。特に印象深い単語の一つが「平和」です。「平=平等にすべてのものが、和=米を口にする(食す)」ことを表していると教わったとき、ある種の衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。それは説明のいらない言葉の持つ心打つ力、すべての人に届く普遍的なインパクトだと感じたのです。
皆さんは「平和」をどのように感じ、どのように理解し、どのように求めていますか。
昨年末のクリスマスメッセージでも触れたように、最近の「平和」をめぐる考え方には、大きな隔たりがあり、大変な混乱があるように感じます。そこで、今年一年の那覇教区のテーマとして「平和」を探求し、キリスト者として、その実現を求める生き方を模索することを目標にかかげました。今回はその第一弾として、『平和は聖なるもの』に焦点を当てて、分かち合いたいと思います。そして、今後もこの紙面を使って、リレー方式で教区目標についての多方面からの照らしと導きを皆さんと共有し、深め、実践へと向かえることを希望しております。より具体的に、よきおとずれたる平和への歩みを共に進めて参りましょう。
–イエスが残した平和 –
さて、私たちの信仰生活の中心である聖書には、数多くの「平和」という単語が見いだされます。中でも福音そのものであるイエス様の口から発された「平和」は、特別な意味を持ち、汲み尽くせない神秘性を帯びています。
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハ14₂₇) 幾度となくミサの中に響く聴き慣れた言葉ですが、それには「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(同)という言葉が続いています。イエス様の示す「平和」は、はっきりとこの世が実現し、もたらすものではないことを断言しているのです。このことは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタ10₃₄) との全く逆の発言を合わせて読み解くと、より明確になります。
イエス様の与える「平和」は、イエスご自身のうちに実現している揺るがない平和であり、神ご自身が創造のときに与えた、すべての存在の源である「ある=存在の溢れ出」との一致のうちにある完全無欠な満たしの状態なのでしょう。ですからその「平和」は、私たちが思う「無病息災」や「無事」という平穏な様子とか、単に争いや戦争のない状態といった表面的な事象ではなく、存在の根源的な満たしがもたらす実り、果実としての「平和」なのでしょう。そのような存在の深み、自分を与え尽くす愛そのものに根差した「平和」は、主イエスがその生き方を通してのみ与え得るものであり、その死と復活によって実現された永遠のいのちのうちにある「平和」なのです。そこからもたらされる真の地上の平和を預言者イザヤは次のように表現しています。
–聖なる平和 –
「狼は子羊と共に宿り 豹は子ヤギと共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。」(イザヤ11₆₋₈)
この預言者の語った「平和の様子」は単なる夢物語ではないと信じます。もし神による完全なる満たしの状態となるなら、誰しもが何物をも必要とせず、争うことも、奪い合うことも、他者を傷つけることも、傷つけられることもない世界が現実となると信じます。人間の同士のことに留まらず、人間と自然、環境、宇宙全体、被造界全体に及ぶ愛の摂理の実現と完全なる調和がもたらされると語っているのだと思うのです。
主イエスがその生と死をかけて残した「平和」。十字架の死と復活を通して示し、与えた「平和」。その与え方を見つめ、それに倣って、これを受け取り、分かち合って行きたいと思います。「平和」を霊の視点から見つめ、その源を探し求め、福音が示す手法で実践するなら、必ずや決して揺るがない『聖なる平和』を完全に享受することができると信じ、そのような視点から「平和」を考えてみましょう。そうするならば、ことの大小や優劣に囚われないより自由で、一人ひとりの日常に根差した『平和は聖なるもの』であるとする歩みが見いだせると思います。
–これからも–
大戦後の沖縄の平和希求の歩みは、本当に福音的だと感じます。大いなる痛みを負いつつも、決して卑屈にならず、誰をも恨むことなく、それでいて怯むことなく、非暴力をつらぬいて来たこの民衆の姿は、主イエスの歩みを彷彿とさせます。誰かに平和を要求するのではなく、自らが平和の担い手として、その内なる部分でも、自分の周りに対しても愛と平和を実践し、分かち合っています。「平和」を口にしながら、激しい批判や非難による言葉の暴力に訴えることなく、また、正義のこぶしを振りかざし威圧的に制裁を加えようともせず、毅然とした態度で、自分自身に対しても、他者に対しても、正しく誠実に平和と人権を求めてきました。そのどんな小さな行動をも神様はけっして見逃さず、これを用いて主イエスがもたらした『聖なる平和』をすべての存在に行き渡らせることでしょう。さあ、また始めましょう 地上の平和を聖なるものとするために。
2026年正月
カトリック那覇教区
ウェイン・バーント司教
2026 New Year‘s Message – Bishop Wayne
“THINKING OF PEACE AS HOLY”
Happy New Year! As we enter the New Year of 2026, I can still easily recall the image of Pope Leo XIV coming out onto the balcony of the Vatican right after his election and saying his first words as the new pope: “Peace be with you all.” Our two Japanese Cardinals who were present at the Conclave fondly remember these first words of the new pope and the tremendous and joyful response of the crowds who were waiting in St. Peter’s Square. The new pope had given a name to the deepest desire of the whole world; namely, the desire for peace.
Considering these words of Pope Leo at the time of his election, and because of the words that he has spoken about peace on other occasions as his papacy has unfolded, I along with the Presbyteral Council of Naha Diocese, have decided on the following words for our diocesan motto for 2026. This motto is a composite of words about peace that the Holy Father has spoken on several different occasions.
“Peace is Holy, the Will of God, and a Constant Journey of Reconciliation”
Since I will not be able to comment on the whole motto in detail here, it is my hope that in the upcoming editions of the diocesan newspaper, that the depth of the meaning of the motto will be explored in more detail. For now, I would like to speak briefly about the first part: “Peace is Holy.”
In the Scriptures, Jesus Christ embodies peace. In John 14:27, Jesus said, “Peace I leave with you; My peace I give to you.” Furthermore, Jesus taught us to follow his example when he said: “Blessed are the peacemakers, for they will be called sons (and daughters) of God” (Matthew 5:9).
In the Scriptures, Jesus Christ also embodies holiness. In 1 Peter 1:15-16 exhorts, “But just as he who called you is holy, so be holy in all you do, for it is written: ‘Be holy, because I am holy.'”
Peace and holiness are deeply interconnected. In Hebrews 12:14, St Paul emphasizes the necessity of both peace and holiness: “Pursue peace with everyone, as well as holiness, without which no one will see the Lord.” Peace is both a gift from God and a fruit of a holy life, while holiness is the pathway to experiencing the fullness of God’s peace. Together, they form the foundation of a life that reflects God’s character and fulfills His purposes. For this reason, Pope Leo has clearly stated that: “Peace is Holy.”
Have a very Happy New Year! Echoing the words of Pope Leo, during the coming year, may “Peace be with you all.”